6月7日(日)、宮城県気仙沼市の牡蠣の森を慕う会(畠山重篤代表・牡蠣漁師)が主催する第27回「森は海の恋人植樹祭」が、宮城県に近い岩手県一関市室根山矢越山「ひこばえの森」で開かれ、北は北海道から南は九州まで全国各地から約1500人が大集合した。「チーム津田」は今年で4回目の参加、津田潮氏(津田産業社長、平林会副理事長)の呼びかけに応じて参加した植林愛好家は総勢61名、前日の6日(土)朝10時、仙台空港に大集合した。津田潮氏が畠山氏の植林活動に啓発され行動に移した経緯は大阪の木材業界では有名な話だが「森は海の恋人運動」は大阪では津田氏の発案で「うなぎの森植樹祭」と冠を変え、今春、3回目の植樹祭が高槻神峯山寺で挙行されている。筆者は昨年、諸般の事情で欠席したが今回が3回目の参加、毎年参加したくなるイベントだ。平林の木材関係からは、津田夫妻・津田綾子、清水靖子、有馬啓子の常連が参加、大阪府木連の中村暢秀夫妻や松山泰造夫妻・奈央さんに加えてケン・トーマス、増田武士、飯田健、野田四郎、池田富士郎、峯岸一也、島崎公一夫妻が参加した。さらに産経新聞の西山記者、津田フアミリーの一族・友人・縁者、その中にはカリスマ鍼灸師に元宝塚、作家に大学教授にピアニストそして厚労省のお役人まで多士済々。津田産業からは山田米造常務以下23名が大挙して駆けつけ、「チーム津田」のお世話をした。
6日朝10時の仙台空港に集合した一行は貸し切りバスで東北道を北上、最初の目的地石巻合板工業に向かう。4年前は高速道路の左右の風景は天国と地獄に分かれていたが復旧が進み、みどり豊かな田園風景に戻っている。今回は石巻合板の野田社長も同乗、復旧途上の石巻市周辺を案内して下さった。ダンプが行き交う公共事業の街には夥しいほどの土が運び込まれ、地盤を底上げしていた。そのあと南三陸から歌津の高台を見学、「復興住宅は高台で!」が実践されていることを目の当たりにする。
初日最後は気仙沼舞根湾の畠山氏の「養殖場」。ご子息らの応対で殻つきの牡蠣をそのまま食べる。「R月しか食せない」―これは間違いだ、
6月の牡蠣も美味なり。
当夜の宿岩手県一関市の「アストロ・ロマン大東」に到着したのは午後6時を回っていた。「アストロ・ロマン大東」は津田産業が4年前、復興住宅を手掛けた時の定宿、広大なリゾート施設である。一行は少憩後、牧場のレストランでジンギスカンのBBQを楽しみ、「きらら室根山天文台」で星を眺めた。
畠山さんの牡蠣は美味しい
7日は本番の植樹祭。大漁旗で飾られた「ひこばえの森交流センター」で9時半から式典が始まり、席上、畠山氏が「過去27年間、一度も雨に祟られたことがありません。森と川と海が一体となり、環境が変わります。木を育てるというのは気の長い話ですね」と挨拶、植樹会場(徒歩約30分の山登り)に移動して50アールに1500本のミズナラ・コナラ・カツラなど約25種類の広葉樹を植樹した。今回津田産業は2千枚の植樹記念「木製プレート」を寄贈した。
参加者全員で記念撮影
大漁旗がなびく植林地
植樹を終えた一行はバス内で昼食をとりながら日本三景の一つ「松島」に向かい、遊覧船で「島めぐり」を楽しんだ。