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大阪市住之江区平林南1-1-8 大阪木材会館2F

平林の歴史と活動内容

平林の歴史

大阪市住之江区平林。ニュートラム南港ポートタウン線平林駅から南港口に至る両側に我が街平林は存在する。木材の一大集散地として名を馳せた平林の誕生の歴史的経緯を辿ってみたい。大阪市は明治以降大型化する外国船舶の入港が可能な近代的な国際貿易港の建設が必要となり、防波堤・大桟橋・?船岸などの港湾施設を築造し、防波堤内の航路・泊地を浚渫、その浚渫土砂で臨海地区492haを埋め立てて埠頭用地を造成する築港事業に着手した。このうち大正区は247haの埋め立てと港湾施設の整備が修築工事として組み込まれた。明治30年に埋め立て工事を開始、昭和4年までに防波堤・?船岸の築造とその背後地の埋め立て、ならびに連絡水路として木津川運河・千歳堀・福町堀が完成した。このように西大阪の埋め立て事業は、江戸時代には幕府の許可を得た民間人による新田開発として行なわれ、明治以降は市の築港事業として施行された。例外的に、旧幕府以来の私有埋め立て権(大縄権)が明治以降にも継承され、民間で開発されたものもある。そのうちの1つに市域西南端部、木津川左岸の釜口町・平林町(現・住之江区平林)地区197haの埋め立て工事がある。昭和7年に完成したが、農地にも生産工場にも利用されず、一面葦が生い茂るだけであったが、戦時中は第八連隊の軍用地となり、高射砲陣地が建設されていた。平林の貯木場は、大正地区復興土地区画整理事業の一環として、在来の大正区に散在する貯木場、製材、合板工場、木材市場等を、大和川右岸下流部の戦前民間により埋め立てられていた平林地区に移転させ、原木輸送合理化を計りながら、貯木施設と関連作業を機能的に整備したものである。

〔事業の背景〕

戦災による大正区の被害は昭和20年1月19日が最初。以降、2月2日、19日、3月13日、6月1日・15日・26日の計7回。3月13日の空襲で大正区では全半焼8835戸、区内40%の家屋が被災した。大正区の人口は昭和14年の15万2300人から20年10月には2万8493人に激減していた。戦災地を対象とする復興土地区画整理事業が着手されたのが翌21年9月であった。

〔地盤沈下とジェーン台風〕

明治18年~42年の24年間に港・西・大正各区で18cmの地盤沈下があったが、明治43年~昭和9年の24年間には45cmの沈下を示し、社会問題化していた。調査の結果、工業化と軍需による地下水が原因と判明。かかる状況下、昭和25年9月3日、高潮を伴って襲来したジェーン台風が大被害を及ぼしたのである。大阪市の全半壊・流失4万6405戸、うち大正区は5077戸と全市の1割を超え、「沈みゆく大阪」が大きな問題となり、「西大阪を救え」という叫びは、全市を挙げての世論となった。

〔大正内港化計画と復興土地区画整理事業〕

戦災と高潮で西大阪は壊滅的状況で国と大阪市は協力してその復興に全力をあげた。つまり、戦後の大正区は地盤沈下が大きく、高潮を防ぐ施設の緊急整備を必要とされながら、大正運河・旧千歳堀付近一帯に散在する貯木場が障害となり、防潮堤などの高潮対策工事を行なうのが極めて困難な状況にあった。また、これらの貯木場も狭い運河に連絡されている為、利用上不便な状態にあり、近代化の必要性に迫られていた。一方、明治39年~昭和7年までに埋め立てられていた約200haの平林地区は、戦後未利用で、土地の有効利用が望まれていた。平林地区の貯木場整備計画は、昭和23年9月、大阪市港湾局が単独市債をもって着手したが、翌24年3月、平林南の町付近約106haの土地を対象に土地区画整理組合が設立され、大阪市も広範囲に土地を買収し、土地所有者の一員として事業に参画した。
① 23年9月、大正内港化計画に伴う、大正区内木材業者(261社)の移転先の受け皿として、港湾局が平林貯木場建設に着手。総面積約200ha。
② 24年3月、貯木場建設予定地を含めた平林南の町付近32万坪(106ha)を対象に、港南土地区画整理組合が発足し、市も大正区の在来貯木池などの移転先を確保する為、広範囲の用地買収を行い、土地所有者の組合員として参画。
③ 昭和30年3月、港南土地区画整理組合は工事完了後、換地処分を行なって、事業を復興土地区画整理事業に引き継ぎ、解散。復興土地区画整理事業は旧組合地を含め、約200haを大正地区南部工区に編入。目的は大正区内の木材業者の移転促進。平林を編入することによって大正地区復興土地区画整理事業は総面積が712.2haとなった。(難波島工区=15.2ha、三軒工区=60.1ha、南部工区=636.9ha)平林の貯木池は昭和27年度に1~3号、35年度に5号、36年度に4号池が完成した。1号(130,486m2)、2号(154,922m2)、3号(102,240m2)、4号(144,044m2)、5号(81,827m2)。南部工区は平成6年1月31日に換地処分を行なった。総事業費317億2022万4000円。平林の現状全盛期は昭和40年代。49年に住之江区が発足、51年にはニュートラム南港ポートタウン線が開通した。 [参考文献:大阪市製材業協同組合創立40周年記念誌]

活動内容

平林会がいつ創設されたのか記録には残っていない。会則の制定が昭和37年12月1日となっていることからその前後であることは間違いない。平林の生い立ちは上記にで詳述しているが、昭和20年代半ばから始まった大阪市の再開発事業に伴い大正区から移転してきた材木屋が中心となって誕生した。平林は大阪のウォターフロントとして外材全盛の昭和40年代には西日本一の木材団地として一世を風靡した。
平林会は町内会ではなく企業中心の任意団体であり会員の多くは当地に居住しない。平林地区は法的には臨港地区であり工業専用地域である。創設当初の会員はすべて木材関連業者であった。が、時代の流れとともに木材以外の業種も多数会員に加わり現在に至っている。
会の目的は会員相互の親睦を図り関係官庁の指導の下に平林地区整備繁栄に寄与すること、となっている。当会はその趣旨に沿った様々な事業を行っている。

(1) 平林地区整備開発繁栄に寄与する事業。
(2) 関係官庁との交渉及び諮問に対する答申。
(3) 平林地区移住に関する斡旋調査。
(4) 平林地区活性化に伴う再開発の研究。
(5) 会員並びに業種団体間の調整、等。

■平林まつり

平林会は平成17年5月に第1回「平林祭り」を開催した。1回目とはいえ3000人超の地域住民らが来場、翌18年5月に開いた第2回目は4000人を超える大盛況であった。当会は「平林祭り」を平林地域の街おこしと街の根幹を占める木材産業のPR事業だと位置づけ、毎年趣向を凝らしたイベントを企画して地域活性化の一助にしたいと考えている。

第2回平林まつりの風景

第3回平林まつりの風景

五月晴れに恵まれた5月13日(日)、平林テニスコート跡地において第3回木に触れよう「平林祭り」が開かれました。今回から大阪府木連が共催に加わり、林野庁近畿中国森林管理局、大阪府等の行政や大阪木材仲買協組、大阪木材市場などの木材関連団体が協賛して頂きました。祭りを取り仕切ったのは「平林フォーラム」の若手集団、地域の活性化と木材PRを兼ねたお祭りに訪れたのは5500人、終日会場内は熱気でムンムン、子ども達も大喜びでした。来年はさらに充実した企画を用意して開催したいと思っております。

梅原会長の挨拶

林田委員長の挨拶




造形高校の皆さんによる糸ノコ教室

ちびっ子の丸太切り



ウッドクラフト教室

ちびっ子火おこし


チェーンソーアート

第4回平林まつりの風景

第4回「木にふれよう平林祭り」 6200人が来場して大成功 ! キッズボート試乗会が大好評 !
前日からの雨も上がった5月11日(日)朝9時30分より平林会(会長・梅原卓氏、実行委員長・林田元宏氏)・(社)大阪府木連主催の第4回木にふれよう『平林祭り!』がオープン、6200人超の来場をみて大成功のなか幕を閉じました。
今回は従来の林野庁近畿中国森林管理局、大阪府、住之江区、大阪木材仲買協組、大阪木材市場、大阪みどりのトラスト協会等の後援者に加えて、国土交通省近畿運輸局、大阪木材相互市場が新たに加わり、「平林祭り」は名実ともに大阪木材業界のビッグイベントに成長しました。また、会場に隣接する3号ポンドではマリンスポーツ財団主幹の「キッズボート試乗会」が初めて催され、370名超の親子・ペアらが平林の水面遊覧を楽しみました。
開門前の9時15分に林田委員長が開会を告げ、列を成して待つ人々が殺到。9時30分には平松邦夫大阪市長が来場、木の街平林の実情と祭りの賑わいを見学、加えて「キッズボート」にも試乗して遊休水面の実態を目の当たりにしました。

満員の会場

平松市長を囲んで

キッズボートは大好評

フラワーアレンジメント

平松市長と有馬さん

木工教室

チェーンソー

八尾の木材市場

原始火おこし

府木連コーナー
府内産の野菜販売

建築事務所協会
建て方の実演

清掃係も頑張っています

もちつき大会<

■平林イルミネーションフェスタ

12月18日~25日まで平林フォーラム主催の平林版ルミナリエがテニスコート跡地で開かれる。
第2回平林イルミネーションフェスタの風景
延べ1500人が平林の夜空を焦がす4万個のイルミネーションを堪能


平林まちナビが生まれるまで

大阪市内で最後に残された広大な未利用水面を擁する住之江区平林地区。
当地の再開発問題はバブル前、バブル期、そしてバブル後と何十年も語り継がれてきた。土地にまつわる開発計画はその時代背景が顕著に表れるものだ。とにかく「出来ることからやろうではないか」の空気のもと、平林会の有志らが巡りあったのが大阪市立大学大学院新産業創生研究センター(地域産業の活性化の一翼を担う産学官連携推進組織)。そこから紹介頂いたのが同大学院工学研究科内田敬助教授。専門は土木、しかし先生は奈良県宇陀市で「阿騎野まちナビ」を立ち上げた実績をもつ。「QRコード」を利用して、ケータイで町家解説や地図が見られるようにした、一種の「街おこし」として。話を伺った梅原卓・小林健次郎副会長(当時)や吉川隆理事らが「平林でもやろうではないか」と立ち上がった。「平林まちナビ」は「木の街平林」をPRする手段ではあるが、平林会の事業として、もっと大胆に言えば大阪市大と一緒に平林再開発を考える切り口としての「最初の第一歩」だ。
内田先生は、「学生たちの授業にも『平林まちナビ』を利用したい」として、手弁当で平林会の指導に当たっている。

写真は平林の街のいたるところに掛かっている「まちナビ」